•    富山県中央部、神通川下流域を占め   

    は富山湾に面する都市。県庁所在地。

    1889年(明治22)市制施行。当時の人口は約5万7000。1920年(大正9)婦負(ねい)郡桜谷(さくらだに)村、26年同郡東呉羽(ひがしくれは)村、35年(昭和10)上新川(かみにいかわ)郡奥田村、40年同郡新庄(しんじょう)、東岩瀬の2町と島、針原(はりわら)、浜黒崎、大広田、豊田、広田の6村、婦負郡神明(しんめい)村、42年上新川郡堀川町と山室(やまむろ)、蜷川(にながわ)、大田の3村、60年(昭和35)婦負郡和合(わごう)町と上新川郡富南(ふなん)村、65年婦負郡呉羽町をそれぞれ編入し、翌66年常願寺(じょうがんじ)川を越えて中新川郡水橋(みずはし)町を編入した。

  •    米騒動は1889年≪明治22≫は凶作で   

    90年に入ると米価が暴騰し、1月18日富山市で貧民が救助を要求して騒動を起こしたのを最初として、4月から8月にかけ、鳥取市、新潟県下、下関市、高岡市などで貧民の暴動が相次いだ。

    最大のものは佐渡相川の暴動(6月28日~7月5日)で、鉱夫ら約2000人が蜂起(ほうき)し、軍隊が出動した。

    その後、福井、愛媛、宮城などの各県下にも騒動が起こった。

    1896年(明治29)は不作で、97年も風水害、虫害が各地にあり、9月ごろから米価が急騰し、9月から10月にかけ、長野県飯田町、富山市、山形県下、新潟県下などで貧民の騒動が続発した。

    この年の米騒動は日本史上最大規模の民衆暴動であった。

    1917 年(大正6)から18年にかけて米価が高騰したが、これは第一次世界大戦中のインフレの一環であるとともに、資本主義の急速な発展により都市人口が急増し、米の需要が増大したにもかかわらず、寄生地主制下の米の生産が停滞して供給不足に陥ったことが根本的原因であり、さらに地主、米商人が投機を計って売惜しみ、買占めをしたこと、寺内正毅(まさたけ)内閣が、地主、商人の利益のため外米輸入関税撤廃の措置をとらなかったこと、シベリア出兵の決定によりいっそう買占めが行われたこと、などの事情が加わった結果であった。

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